テレーゼ・フォン・ザクセン=アルテンブルク (1836-1914)
テレーゼ・フォン・ザクセン=アルテンブルク Sophie Friederike zu Mecklenburg | |
---|---|
ダーラナ公爵夫人テレーゼ、1890年頃 | |
全名 | テレーゼ・アマーリエ・カロリーネ・ヨゼフィーネ・アントイネッテ |
出生 |
1836年12月21日 バイエルン王国、アンスバッハ |
死去 |
1914年11月9日(77歳没) スウェーデン、ストックホルム |
埋葬 | スウェーデン、リダルホルム教会 |
配偶者 | ダーラナ公アウグスト |
家名 | ヴェッティン家エルンスト系 |
父親 | ザクセン=アルテンブルク公子エドゥアルト |
母親 | アマーリエ・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン |
テレーゼ・フォン・ザクセン=アルテンブルク(Therese von Sachsen-Altenburg, 1836年12月21日 - 1914年11月9日)は、ドイツのザクセン=アルテンブルク家の公女で、スウェーデン王族のダーラナ公アウグストの妻。全名はテレーゼ・アマーリエ・カロリーネ・ヨゼフィーネ・アントイネッテ(Therese Amalie Karoline Josephine Antoinette von Sachsen-Altenburg)。
生涯
[編集]ザクセン=アルテンブルク公子エドゥアルトとその最初の妻でホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯カールの娘であるアマーリエ(1815年 - 1841年)の間の第1子、長女として生まれた。1852年に父を亡くすと孤児となったため、最初は従姉のハノーファー王妃マリーに、次いで伯父のホーエンツォレルン侯カール・アントンに引き取られた。1864年4月16日にアルテンブルクにおいて、スウェーデン王オスカル1世の四男であるダーラナ公と結婚した。夫婦仲は良好だったが、間に子供は生まれなかった。夫とは結婚して9年後の1873年に死別した。
夫を亡くして間もなくテレーゼの精神は徐々に崩壊し、自分の周囲の人間にひどく攻撃的な態度を取るようになった。病状が悪化するとストックホルム宮廷はテレーゼを厄介払いすることに決め、テレーゼは1875年に精神異常と診断されて、ダールスコルド伯爵夫人(Gräfin von Dahlskiöld)の偽名でスイスに追放された。彼女はヌーシャテルに買い与えられた屋敷で長年を過ごした。
1890年にスウェーデンへの帰国を許され、死ぬまでソルナのハガ城(現在のハガ公園)で暮らした。晩年のテレーゼは趣味の作曲や慈善活動に時間を費やした。また義理の甥孫で、知的障害のため家族から疎外されていたヴェストマンランド公エーリクを可愛がったという。1914年に死去し、リダルホルム教会の王家の墓所に葬られた[1]。
参考文献
[編集]- Johannes Töpfer: Landeskunde des Herzogthums Sachsen-Altenburg, S. 26 (Digitalisat)
- Margaret Howitt: Twelve months with Fredrika Bremer in Sweden, Band 1, S. 60 ff. (Digitalisat)